わたしの勝手に青春シリーズ:高校放送部編(はじめに)

わたしの中の青春ってなんだろう。

と、人の青春ブログを読んでふと思ったので、ええ歳にもなってきたし、今一度自分の過去を振り返るのもいいなと。青春というほど大それたものではない気持ちもあるんだけど、私は高校3年間放送部まっしぐらだったことを思い出してかいてみようとおもいます。

というわけで、私。
せっかくの人生、経験できることは経験しておきたいと思う人でして「帰宅部」という期間はほぼゼロ。
そんな私が高校で選んだ部活は放送部でした。

ちなみに入部した母校の放送部は、昔こそすごい大会でも上位常連で強かったらしいですが、私が入ったときは人数も少なく、大会には出場はするけど入選するかしないかなレベル。

作った番組が佳作とかとれたらもうそれはそれは喜ぶ感じのふわっとした雰囲気。

なぜ放送部を選んだのか?というと、同期は単純に中高一貫教育の母校の中で唯一しゃべりやすかった先輩が放送部だったからという単純なもの。

中学時代、未経験で全国大会常連の運動部に入って結局溶け込めず大げんかや後輩いびりみたいなのを経験していたので、割と上の学年は敵というかしゃべりにくい人だらけ。そんな中、優しくしてくれた先輩がいるから安心だったんだといまおもいます。

放送部顧問の先生は、先生たちの中でもかなりいろんな意味で面白すぎる先生。

社会の先生だったけど絵が好きでオリジナルイラストがいろんな配布物や黒板に登場し、昔模写した絵巻物はそれはそれはすごい大作。

毎年いまもやりとりしている年賀状は決まって天女の絵。

一方で機械系も大好きで部費が少なく新しい機材なんて揃えれなかった部室は、先生がどこからか集めてきたデッキやモニター、修理して使いまくっている古めかしい機材がいつも山のように積み上げられていました。

 

そんな職員室の真隣に作られた
防音仕様の
小さな
それはめちゃくちゃ狭い放送室。

いま思い返せば高校3年間の秘密基地だったのかもしれません。

 

というわけで、自分の過去ってどんなだろうなと人のブログみてお見返してみたとき、高校3年間がいろいろ青春っぽくまとめやすかったので、自分の人生振り返りの一つとしてちょいと書いていったみようかとおもいます(続)

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