小学校のPTA会長として卒業式祝辞で情報リテラシーについて話してきた

ちょっと前のお話になりますが、PTA会長をつとめる地元小学校の卒業式がありまして、祝辞を読ませていただきました。我ながらかなりよく書けていると思ったので、後につづく皆さまの参考になればと思い、準備にあたって心がけたことと読んだ祝辞全文を書き残そうと思います。

卒業式祝辞の要件

まず前提として、卒業式祝辞には含めるべきいくつかの要件があるので、それは意識して書きました。

ターゲット

ステークホルダーは複数いますが、第一に卒業生が主役であり、もっとも重要視されるべき対象です。次に保護者、その次に学校職員と地域の方々。

必須の要素

  • 何はなくとも卒業生とその保護者さんにお祝いのあいさつ
  • 教職員への御礼
  • 卒業生へのメッセージ

推奨される要素

  • 卒業生と自身の関わり
  • 地域の方々(おもに来賓として出席している)への御礼

その他

  • いかにも「式辞」っぽい表現を避ける。そういうのは校長先生がやってくれるはず。具体的には時候の挨拶などは省いてよさそう。
  • 小学生対象であれば、そう長くは集中して聞いてくれない。他の挨拶もあるので5分以内に収める。1200字程度を心がけるとちょうどよさそう。

メッセージのテーマをどう定めるか

で、上記の「卒業生へのメッセージ」というところが挨拶文の本論部となるわけですが、ここがなかなか悩ましい。

セレモニーの祝辞のようなものは基本的にさっさと簡潔に終わらせるほうがよいとは思いつつ、自分が読む段となるとなにかしら自分が仕事をした跡を残したいような欲が湧いてきてしまうもので。ひとりのおっさんとしてどんな自分ならではのアドバイスが彼らにできるかなあということを考えていると「情報リテラシー」に行き当たりました。

情報に対して謙虚であることは、たくさんの情報を扱い出す中学生・高校生から大いに必要になる態度だと思います。
かつ、こうした態度を教えることができる大人はまだまだ数が少ないとも思います。

フェイクニュースやSNSを介した若年者をターゲットにした犯罪の問題も顕在化した年度でもありましたし、自分が今年度に話すにはよいテーマかなと思いました。

 が、これを関係各所への挨拶文も含めた5分以内にまとめるのが面倒…と思いつつ、1時間ほど格闘して原稿を書き上げました。1600字くらいになってしまい、いろいろ削って大体1200字。これなら5分、まあギリギリの範囲内だろうということで…

祝辞全文

ということで以下に祝辞全文さらします。もちろん特定の学校に関わる要素は一般化しました。実際には多少現場で話し言葉に近づけてアレンジしたりもしてますが、骨子は変わっていません。


(簡潔なあいさつ)
6年生のみなさん、そしてご臨席の保護者のみなさま、本日はご卒業おめでとうございます。PTAを代表して、お祝いの言葉をお贈りさせてください。

(卒業生との関わり)
私は2年生の親ということもあり、みなさんとの接点はちょっと少なかったのかもしれませんが、ついこのあいだに学校でおこなわれた校内撮影会でご一緒させてもらったことがとても印象的でした。みなさんが2時間という時間をつかって自由に、笑顔で、撮影を進める様子を横目に見ながら、みなさんが6年という長い時間の中でどんなに素敵なチームをつくってきたのかがよくわかりました。

(教職員と地域への御礼)
こうした素敵なチームができた背景には、校長先生をはじめとする教職員のみなさまのただならぬ尽力、地域の皆さまのあたたかい援助があったことを確信しております。この場を借りて、御礼申し上げます。
また保護者の皆さまにおかれましては、日ごろのPTA活動へのご理解とご協力、深く感謝いたします。

(本論:テーマの提示)
さて、今日は私から卒業生のみなさんにお伝えしたいことがひとつだけあります。
それは「なんのために私たちは勉強をするのだろう」という、誰でも一度は考えるテーマです。

(本論:展開部)
私は日ごろ、インターネットに関わる仕事をしているので「情報」というつかみどころのないもののことをよく考えます。

この10年で私たちが1日のうちに受け取る情報の量はとても多くなりました。みなさんが生まれてすぐの頃の大発明・本格的なスマートフォンの登場が大きなきっかけです。友達からメッセージやいろいろな連絡・ニュース・画像や動画を含むSNSへの投稿…すでにこうした情報のやりとりをしたことがある人も多いかもしれませんね。

私たちが小学生の頃は「いろいろな情報を知っている人」が賢いとされる時代でした。でも、今はもう情報を引っ張ってくるのは誰でもできるのだから「自分にとって役に立つ情報とそうでない情報・そして危険な情報を選び取れる」力が重要になっていると感じます。

「自分にとって役に立つ情報」とは必ずしも自分の考え方に沿った情報、という意味ではありません。むしろ自分の考え方とは違う考え方、自分が苦手だと思っているもの、そういったものの中に、自分の仕事や人生を豊かにするものが混じっているのはごく普通にあることです。

(本論:結論部)
ですが人間は自分の好みや一度作り上げた考えに支配されやすい生き物です。だからこれまでにいろいろな人たちが考えてきたたくさんの知恵・たくさんの出来事・たくさんの仕事の成果を学びながら「自分とは違う考え方・生き方」を一旦受け入れ、自分で考えるための余裕を心につくらなければいけません。その余裕をつくる作業自体を私は「勉強」というのだろうと思っています。

情報が選べる力の中でも、とくに「自分を傷つけることになりそうな情報を見破り、捨てる」ことは重要です。みなさんが中学校にすすみ、部活などに所属し、仕事を得てもずっと必要とされる力です。仕事や勉強だけでなく、みなさんの安全・人間として大事にしている心・命を守るために、どうか今の、そしてこれからの学びの機会を大事にしてください。

(結び)
これで私の話は以上です。卒業生のみなさまの希望に満ちた今日の門出をお祝いしつつ、私のご挨拶とさせていただきます。
本日は、誠におめでとうございます。

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