WordBench終了について考えたことをあまりまとまらないながらも書きます。
こちらの一件、自分にとっては大変大きなことだと受け止めていますが、個人的なコミュニティとの関わりについてはあまり大事なことではないのでこの記事では書かないことにしました。
私はWordBenchの終了に関する様々な方の考えを読み、あらためて考えてみて、WordBenchは成り立ちから今に至るまで「ひとつのサイトに集う人々のコミュニティ」という立ち位置から離れていないと思いました。いつのまにか「WordPressというプロダクトに集う人の地域コミュニティ連合」という風に拡大解釈されがちでしたが、究極的にはサイト運営者がモチベーションをもって管理できる範疇内での自由なコミュニティということになるのだろうと。
もちろん運営者が「このコミュニティは公器として集まった人たちに完全に手渡す、どうなろうと気にしない。(サイトも含めて)運営したい人は手をあげてくれ」ということなら話は別ですが、創始者の三好さんはWordBenchへの強い思い入れを下記の記事に書いていらっしゃいますし、私は第三者からその意識に対してどうこう言えるものではないと思ってます。個人とその仲間たちのサイトから始まったWordBenchなのですから、それがどんなに大きくパブリックなものになったとしても人の手から取り上げることはできない。
ライセンスつきである程度自由に運営させる、という手もあるわけで、そのライセンスにあたるのが初夏に話題になった「行動規範」だと思っているのですが、これには「より多くの人の声を吸い上げたプロセスを経させたい」といった意見をはじめ様々な考えが集まりつつ頓挫した形になりました。話し合いの場となったSlackに私はかんでいないので推測でしかありませんが、その場で発言した誰もが善意で動いていたことであろうし、それはとても悲しいことだと思います。
それらの考えに基づいて、私は創始者の三好さんをはじめとするサイト運営者がコミュニティの死活を決め、実行するということにはまったく異論ありません。「創設者の意思を汲みとりつつ、より自由で開かれた意思決定プロセスをつくる」ことはもちろん理想的ですが、ちょっと考えるだけでも困難なことだと思います。一方で「もっとよい終わらせ方があったのでは」だとか「なぜこうなったのか」という議論は一方で今後のコミュニティ運営者のための知見として大事だと思います。
WordBenchという名称は法的に誰かが独占しているものではありませんので、その名をあえて使ってコミュニティを興す自由は誰にでもあります。ただ私は、これを忖度というのかどうかは分かりませんが、ちょっと夢見が悪すぎてできないかな。他人の作った大きなものに、無理やりぶら下がってるように思われるのも嫌ですし。
今後のWordPressの地域コミュニティが多様化する可能性は歓迎すべきことであると思うと同時に、多様化すら起こらずそのままWordPressのユーザーグループがゆるやかに衰退していく可能性もまた考えてしまいます。わたしは私なりにWordBenchやWordCampへの参加で培った考えを実践するコミュニティに関わっていきたいと、今は考えてます。
(所要時間:2時間)
このブログ主の夫のほう。大阪を中心に活動するウェブデザイナー。水交デザインオフィス代表。JUSO Coworking運営。趣味でハウス・ディスコDJ / デレマスP。共著書『世界一わかりやすいWordPress 導入とサイト制作の教科書』発売中です。