はてなから失われてしまったもののこと

もうかれこれ10年ばかりはてな界隈をゆるく見ています。2009年にはじめたTwitterにはまだまだ人が少なく、私はなんの加減かはてなグループのついったー部を見つけ、そこでなんだか面白そうなことをつぶやいている人をポチポチとフォローして追いかけるようになりました。面白いはてなダイアリーを書いている人も多く、またそういう人は日頃のつぶやきもとてもおもしろくて、そうした人たちに声をかけたり、たまに声をかけられて嬉しくなったり、そういうのが私のTwitterの原体験であり、またはてな界隈の原体験でもあります。

そもそも筆まめでない私は、それから2〜3年は大体Twitterに入り浸り、はてなに関してはTwitterが面倒くさくなってきた2012年ごろに定期的にはてなブックマークをチェックするようになった程度のものです。ここ数年は毎日ホッテントリをチェックしてブックマークコメント(ブコメ)もちょこちょこと書くようになりましたが、やはりその程度のお付き合いです。

10代の頃から面白いエッセイを書ける人にはとても憧れをもっていました。中島らもや大槻ケンヂといったサブカル枠とされる人々のケレン味ある日々の記録がとくに面白くて、でもそこで自分で書いてみる、ということにはあんまり踏み込まなかった。それらしいものを書いてはみるんだけど、すぐ飽きてしまって、壁を超えるような努力はあまりやりませんでした。

そんな私にとって大人になってから知ったはてな界隈というのは、「自分の文章」をもっているアマチュア文章書きの梁山泊みたいな場所でした。Twitterで追いかけてる面白い人がたまに書く長文はびっくりするほど豊かで、面白くて、行間に内容が詰まっていて。そのつながりを追いかけると、TwitterなどのSNSはやっていなくても、顔や立場は隠したままでも、ハンドルネームで面白いものを書いている人たちがごまんといて。その多くがどうも同世代の人々だということにも感激して(私は1979年生まれです)。

そこにブコメを書く人たちも、まあ言葉は辛辣だし否定ベースで入る人が多いきらいもありますが、理の通っている意見には柔軟な人が多い印象でした。それまで匿名で意見を交わす場所といえば2ちゃんねるなどの掲示板のイメージが強かったものですが、なんて紳士的なコミュニティだろうと見つけた当時は思ったものでした(SNS、とくにFacebookが普及してからは、はてな民は手斧を携えた戦闘民族みたいな見られ方をされることも多くなりましたが)。

そんなはてな界隈の中で表現し、ときに争い、ときに界隈のゴシップに群がり(あるいは距離を取り)、またそれを糧として表現する人たちは、ずっと私が入りたくても入れない雲の上の人たちでした。それでいて、ものすごく近しさも覚えてしまうような、不思議な距離感にいる人たちでした。

私はたまーに文章を書きながら、ああいった人たちのようになれたらいいなとぼんやりと考えながら生きていました。近い年にいる彼らは私と同じく齢を重ね、日々のニュースに心を動かし、自らの仕事について考え、自分の老いにも向き合いはじめて。そうした人々が書いたものを、日々の喧騒からふと離れて眺める時間が私には愛おしいものでした。

もちろん私はついこの間に亡くなった、いや、殺されてしまったHagex氏とは面識はありません。ありませんが、雲の上のひとりとしてよく見ていた人でした。好事家で、面白おかしく火種にガソリンをかけて回るような芸風は正直いって好みではありませんでしたが、おそろしくものを調べる人だなということと、一周回ってあなたそのウォッチ対象大好きなんでしょとツッコみたくなるような愛嬌のある人だったと思っています。ただ、彼の煽りにのってコメントを書かないことは少し気をつけていたように思います。どうしても器用で利発ないじめっ子のイメージが私の中でぬぐいきれなかったからかもしれません(この見方については、よく彼を知る人たちが否定しているところでもあります)。

はてなの末席にいる私がこれ以上彼について書くことはありません。でも、なのに、私は今日一日、とてもざわざわした気持ちでいっぱいでした。それは多分、私がずっと眺めてきた憧れの場所そのものが震え、悲しみ、揺さぶられていることによるものなのだと思います。

多くのブロガーが表現することそのもののリスクについて考え、幾人かの人が今後の表現活動について限界を感じている旨を書きました。このところ政治・社会の話題を中心に殺伐とした空気がより濃く漂っていた中に、鋭利な刃物をもって壁を切り裂き、動かせない氷塊を投げ込まれたような重苦しいものを感じています。

彼の命とともに、私の好きな場所からとても大事なものが失われてしまった。そうした気持ちがぬぐえません。もしもあの匿名ダイアリーを書いた者が犯人であったならば、とても残念なことに、彼の狙いは見事に成功したといえるのかもしれません。それがなによりも悔しくてなりません。
(所要時間: 1時間30分)

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