前回の記事が中途半端なところで終わってしまったので、今週はJUSO Coworkingが開業してからそのコンセプトを立てるまでの流れを書いていきたいと思います。
前回までのあらすじ
祖父から受け継いだビルがリーマン不況でさあ大変、ビルの経理事務とウェブデザイナーの3代目夫婦は知恵を絞って考えた。ある日偶然、彼らのもとにもたらされた謎のキーワード「コワーキング」。「考えるな、感じろ」心の声の赴くままに、彼らは様々な人の協力を得ながら2010年12月、JUSO Coworking(十三コワーキング)を開業する。
絵に描いた餅
開業から数ヶ月間、JUSO Coworkingは、ほぼほぼ開店休業状態が続いていました。知人が来てくれたり、まれに耳の早いメディアが取材に訪れたりということがあったはあったのですが、なにぶん人が集まっていないのです。静かな部屋の中で私と対面で黙々と仕事をして、少し世話話をして。しかしそこから広がらない。
コワーキングはコミュニティに価値がある。そこにいけば面白い人がいるかも。なにか仕事のヒントが見つかるかも。それがコワーキングの面白いところなんですよ…と人にお勧めはするけれど、日本にはまだそういった成功事例が存在しない。全部「絵に描いた餅」です。
そんな状態で数ヶ月営業ができたのは、私たちがビルオーナー側の人間だからです。これが部屋を借りている状態だったとしたらひとたまりもなかったことでしょう。
毎週木曜はコワーキングの日
そんな中、希望をつないでくれたのは、何人かの人々でした。前回の記事でご紹介した @HissyNC さんと @kanetei さん。そして彼らの紹介でやってきた @hrot さんと @indigoworks さん、他に何名かの人たちが様子をちょこちょこと見に来てくれました。
彼らは自らセミナーなどのイベントを企画して、JUSO Coworkingにたくさんの人を集めてくれただけではなく、運営に関する様々な相談に乗ってくれました。Facebookページを立ち上げてみたり、Ustreamでみんなが集まっている様子をライブしてくれたり。また「毎週木曜に集まってとにかく複数の人間が集まっている状態をつくろう」と集まってくれて、毎週仕事もしつつ、JUSO Coworkingの作戦会議を開いてくれました。
そんなわけで、私たちもこれに合わせて初めていらっしゃる方には木曜をお勧めするようになりました。
JUSO Jelly!
彼らは神戸カフーツにも顔を出しながら、いろいろな情報を持ってきてくれました。東京はもちろんのこと、京都や福岡に新しくコワーキングスペースが次々に開業していること(といっても2011年中に立ち上がったのはおおよそ30店ほど、まだまだ私たちが認識できる数でした)。注目を集めてるスペースのイベントのことやシステムのことといったことも。
当時はさまざまなスペースが「Jelly!」と呼ばれるコワーキング体験イベントを開いていました。コワーキングというワーキングスタイルはもともと、様々な人が一同に会して働く「Jelly!」と呼ばれたイベント(名前の由来は色とりどりのジェリー・ビーンズから)に端を発しており、まずはそういったカジュアルに参加できる体験イベントからコワーキングを広めよう、というわけです。
私たちも2011年の4月頃から毎月、通常お休みにしている土日祝日に体験イベント「JUSO Jelly!」を開き、会社員の方を含む様々な方をお迎えしました。これはそれなりに効果があり、数名、多いときには10名ほどの方がいらっしゃるようになりました(とはいえ基本無料ですので、売上は上がりませんでしたが…)。
家族ラボ
一方、妻はまだ小さな長男に手がかかる時期にあったこともあり、Twitterで知り合った人々とともに「家族ラボ」という、育児や家族運営に関する知見の共有を目的としたコミュニティイベントを発足させました。
「育児をテーマとしたママの集まり」という限定された枠でなく、男女問わず、未婚既婚問わずのスタイルで「集まって話すことで家族との毎日を少しでも明るくする」というような狙いで毎月開催していました。
もちろん子連れOK。お子さんには走り回ってもらえるくらいの一番広い部屋さえもが空室だったのでこれを使って開催しました。
こうして水交ビルにはコワーキングの文脈とは異なるコミュニティも同時に育っていきました。後にして思えばそれが良かったのだと思います。
まさかの同室開催。JUSO Jelly! + 家族ラボ
JUSO Jellyと家族ラボは同時に開催されることが多くありました。おもに妻が家族ラボ、私がJUSO Jelly!を見る感じでしたが、これを何度かやるうちに妻が「これを同じ部屋でやったらどうなるだろう」と提案してくれました。
大きな部屋をざっくり2つに割り、半分をコワーキングエリア、半分を家族ラボエリアにして同時に開催する…子どもがたくさん来るイベントなので、集中して仕事をするには厳しいけれど、交流イベントとして割り切れるなら面白いし、これまでコワーキングスペースに興味をもってくれなかった人にも訴えるものがあるかもしれない。そう考え、これを早速実施しました。2011年9月のことでした。
はじめてつかんだ手応え
当時、結果として「JUSO Jelly! + 家族ラボ」には大人・子どもふくめ50人もの人がビルを訪れ、イベントを楽しんでくれました。大人はコワーキングや家族ラボの催しを通じて交流を深め、子どもたちは複数の大人の目の中で身体を動かして遊べる。
働いている途中で息抜きに子どもたちを見る役を買って出てくれる大人がいたり、家族ラボエリアからコワーキングエリアに動いて様々な人と話しながら見聞を広げる人がいたり…。
思った以上の手応えを感じた1日でした。コワーキング(Jelly!)と家族ラボ。あくまでイベントとしての開催なのでこれがそのまま業になるわけではありませんが、意外にこれらの親和性は高いのではないか。そう私たちはおぼろげに感じていました。
本町・オオサカンスペースの登場
2011年も後半に入り、コワーキングスペースの開業のニュースをちらほらと聞くようになりました。そして大阪にもいくつかのコワーキングスペースが立ち上がっていました。しかし当時はまだ実態のつかみにくいスペースがほとんどで(人様のことは言えませんけれども)、それほど大きなニュースとしては受けて止めていませんでした。
しかし2011年の秋、在阪のウェブ制作者に広く知られている株式会社EC Studio(現 chatwork 社)が子会社をつくってコワーキングスペース運営に乗り出すというニュースが飛び込んできました。大阪の老舗コワーキングスペースのひとつ、オオサカンスペースさんの登場です(なお現在オオサカンスペースさんの事業運営については、開業から代表を務める大崎弘子さんが運営会社からの株式譲渡を受ける形で、彼女の会社である株式会社Kaeruに引き継がれています)。
大崎さんは当時からEC Studioの一大コミュニティである「IT飲み会」をマネージャーとして切り盛りしている方で、人として申し分なし、当然設備もJUSO Coworkingとは比べ物にならないものになるだろうことが予想されました。しかも聞けば大阪ビジネス街のど真ん中、本町の御堂筋沿いにオープンするとのことでした。
正直に申し上げれば、当時は私たちは本当に危機感を感じていました(大崎さんはじめオオサカンスペースの皆さんには後日そのように直接お話していることですが)。
結果、オオサカンスペースはオープンまでに100名を超える月額会員を集めました。今思えば、大阪におけるコワーキングの普及に大きな役割を果たした代表的なスペースであったといえましょう。
JUSO Coworkingのキャラクターってなんだ?
大きなスペースの誕生は喜ぶべきことですが、私たちが消えてしまっては元も子もありません。先述した「JUSO Jelly! + 家族ラボ」の成功という明るい材料はありましたが、一部屋の家賃すら支えられないような売上状況に変わりはありません。私たちは「オオサカンさんにできて、私たちにできないこと」と「わたしたちにできてオオサカンさんにできないこと」を考えるようになりました。
「コワーキングには必ずしも立派な入れ物は必要ではないが、現実的にスペースを商売ベースに乗せるには最低限の快適な設備が必要だ」との結論に達し、私たちはビル4階の空室に増床の計画を立てはじめました。
これまで9ヶ月赤字を流し続けたにも関わらずの増床の決定。お金はないけど、毎週集まってくれる仲間がいる、という事実のおかげで義父(ビルの代表)からGoが出たのだと思っています。
まず木曜日メンバーズたちで話し合ったのは「JUSO Coworkingのコンセプト」。これからはオオサカンスペースに限らず、様々なコワーキングスペースが大阪にできるはず。「JUSO = ???」という何かがなければいけない。その何かを探さなければ。予算も限られている中で「何にお金を使うか」を見極めるためにもコンセプトは必要です。「器作って魂入らず」のスペースにはならないことを意識していました。
コワーキングスペースでも、家でも、仲間たちと、妻と、JUSO Coworkingの未来についていろいろな話をしました。その末に、ようやくJUSO Coworkingのコンセプトらしきテキストができました。
- 仕事と生活がつながる場所
- 子どもにやさしい場所
- 地域と専門家がつながる場所
1と2については「JUSO Jelly! + 家族ラボ」の成功体験が強く影響しています。また私たちが近くの保育園に小さな子ども預けながら一緒に働く身であり、そうした設計にしないととてもやっていられないという必要に迫られた事情もありました。
なお3の実現には、それから4年後、2015年12月の十三こども0円食堂の発足、2016年9月の1階への増床を待たなければなりませんでしたが、当時から意識はしていました。
増床プロジェクトが始動
ようやくコンセプトができ、JUSO Coworkingの増床プロジェクトがはじまりました。
@hrot さんが若くてとても腕のいい、当時独立したての家具職人さん(awai design・山田晃さん)を紹介してくれました。内装や設備についても木曜日メンバーズとオンライン・オフライン問わずで話し合い、意見を募りました。
たまたまコワーキングスペースを訪れてくださったサイボウズ株式会社の @saicolobe さん(現サイボウズ式編集長)に頼み込んで、サイボウズさんに増床のスポンサーになっていただいたりもしました。
内装の壁紙やフロア材・照明や電源の配置を決めて業者さんに発注し、つくっていただく家具の種類や機能をまとめて山田さんにお願いし、そして数十年の汚れをまとった天井をみんなで白く塗り替えて…と準備に無我夢中の数ヶ月でした。
実際予算は極めて限られており、制作していただく予定だった家具が既成品のカスタマイズになってしまったり、紆余曲折も苦労もありましたが、メンバーやご協力くださった皆さんのご協力と厚意でなんとかひとつひとつ、形にしていくことができました。
二代目 JUSO Coworkingメインスペースの完成
そして新しい、私たちのコンセプトを設備に反映させた4階(403号室)の二代目メインスペースが誕生しました。
注意:この部屋は現在、マンスリープランメンバー向けの固定席を並べた部屋になっており、2018年12月現在、一部の机をのぞいて一日利用のスペースとしてはご利用になれません。
部屋に入ってまず目を引くのは山田さんにオーダーした壁一面のロッカー付き書棚。利用者さんオススメの技術書やマンガから絵本まで入ってしまう大きなものです。またおもに月極会員さん向けに、荷物を置いてもらえるロッカーが付いています。
カーペットを敷き、そこのみ土足禁止とすることでキッズコーナーとしました。飲食はもちろん、おもちゃも用意してあります。書棚から絵本を持ってきて読んでもらうことも可能でした。
注目は大机。IKEAのダイニングテーブルですが、家具職人の山田さんにお願いして脚の長さを少し短くし、仕事用に最適化しています。また天板下の角を丸めてあり、お子さんが走り回って頭をぶつけても、怪我をしにくいように加工していただきました(今でも現役です)。
当時を振り返って思うこと
実際に採算がとれるようになるまでには、まだもう少し時間を要しますが、ようやく「やりたいこと」をはっきりさせ、そのための設備を備えたスペースができました。ウェブサイトも整備し、ここからようやくJUSO Coworkingで様々なコミュニティの人たちに活用してもらえる体制が築けたといえます。
その後押しをしてくれたのが当時集まってくれた木曜メンバーズであり、また家族ラボやJUSO Jelly! といった試みでした。またオオサカンスペースさんという大きな競合の登場は結果として自分たちのコンセプトや進むべき方向を考えるきっかけになりました。
思えば、当時スタートからうまく行っているコワーキングスペースというのは、開業時からなにかしらの核となるコミュニティを持っているところだったように思います。私たちにはオープン当時、それがなかった。だから、1年かけて試行錯誤する中でそれを作っていたんだな、と今は考えています。
スタートダッシュは遅かったけれど、今でも2011年に立てたJUSO Coworkingのコンセプトは生きています。
- 仕事と生活がつながる場所
- 子どもにやさしい場所
- 地域と専門家がつながる場所
最近はこれに加えて「小さな『はじめたい』をサポートする場所」という言葉も加わりました。
言っていることとやっていることが矛盾しない限り、私たちは私たちであり続けることができるし、どんなコワーキングスペースができてもなんとかやってけるのではないかと考えています。
これはおおよそ6〜7年前のお話で、それからも様々な問題にぶち当たりましたし、もちろん今も課題はたくさんあるのですが、そのお話はまたいつか書ければと思います。
このブログ主の夫のほう。大阪を中心に活動するウェブデザイナー。水交デザインオフィス代表。JUSO Coworking運営。趣味でハウス・ディスコDJ / デレマスP。共著書『世界一わかりやすいWordPress 導入とサイト制作の教科書』発売中です。