私たちがコワーキングスペースをはじめた、その当時のこと

この記事はコワーキングスペース運営者限定アドベントカレンダー Advent Calendar 2018の14日目の記事です。名古屋のコワーキングスペース・ベースキャンプ名古屋の山本一道さんからバトンを受け継ぎました。では行ってみましょう。

はじめに

私たち夫婦が運営するJUSO Coworking(十三コワーキング)は2010年12月にオープンした大阪・十三(じゅうそう)にあるコワーキングスペースです。この2018年12月1日に無事8周年を迎えることができました。

さて、そんな日本ではかなり古い目のコワーキングスペースを運営している私たちですが、そもそもなぜこんな商売をあの当時に始めようと思ったのかを夫側の視点から書いておこうと思いました。この話はもう本当にたくさんの方にしたし、この間テレビでもお話させてもらうことができたのですけど、文字に残すということにはそれはそれで意味があるだろうということで。

お断りしておくと、私たちの事例は結構レアな環境でのケースで、多くのコワーキングスペース運営者さん・それを目指す人にはちょっと参考になりにくいかもしれません。

ビルオーナーの家に嫁いで

私が妻のちかよと結婚したのは2008年のことでした。もともと20代のほとんどを演劇に捧げていた私は27まで定職につかず、不定期なアルバイトをしながら、細々とウェブデザイナーとしての経験を積んでいました。結婚を期に在阪のデザイン制作会社さんに拾っていただき、3年弱お世話になった後に独立することになりました。

なぜそんなに短期間で独立することになったのかというと、それは妻の家業がビル経営であり、その中で家業について学ぶ必要があったからです(あとは子どもが産まれ、家庭にしっかりコミットしながら仕事をするスタイルを自分たちで作る道を夫婦で選んだといこともあります)。妻はそのころからビルの事務員として経理やビルの管理業務に汗を流していました。

JUSO Coworkingが入っている水交ビルは1963年築の古いオフィスビルです。戦後間もなく静岡から大阪に渡ってきた妻の祖父が、飲食店経営で一財を成し買い取ったビルだったといいます。

エレベーターはなく、また設備も相当に古い。古いといってもいわゆるレトロビルのような風情もなく、物件としてそれほど魅力があるわけではなかったと思います。

水交ビル外観(2013年)

2009年12月、私はとりあえずビル管理事務所の机をひとつ使って、フリーのウェブデザイナーとして仕事をはじめることになりました。ビルの通常の賃貸業務から私の給料を出すほどの余裕もなく、自分の給料は自分で稼ぐ必要がありました。子どもも小さく手がかかる中での共働き、果たして自分がどれだけフリーランスとしてやっていけるのか、不安ではありましたがやはり楽しい日々でした。

2009年当時の水交ビルはお世辞にもよい状態にあるとは言えませんでした。2008年に起こったリーマンショックなどの影響でビルは空室だらけ、新しい入居者のアテもありません。妻は空室をレンタルスペースとして貸し出すことで細々と売上を立てていましたが、空室の家賃を支えるような額には程遠いものでした。

コワーキングはTwitterからやってきた

そういったわけで、ウェブデザイナーとして独立したばかりの私と妻には「水交ビルの空室をなんとかする」というミッションがあったわけです。まだウェブデザイナーとして軌道に乗っているわけでもない私は、妻と空室の利用法について日々頭を悩ませていました。

当時は複数のクリエイターが集まるシェアオフィスが注目を集めており、私もなんとか親交のあったフリーランスと一緒に働きながら一部屋分の家賃でも支えることはできないかと考えていました。ですがシェアオフィスというものは難しい面も多く、それこそ喧嘩別れみたいな話も聞きますし、人が出ていけば空いた席を埋めるためにまた人を探さないといけなくなる…というのもなんだか落ち着かない気がしていたのでした。

そんなある日。2010年7月、妻がTwitterで「東京の方にコワーキングスペースというものができるらしい」というニュースをキャッチしました。日本でふたつめのコワーキングスペース、経堂のPAX Coworking(2018年3月に実店舗としては閉店)オープンのニュースでした。気になって調べてみると、すでにその年の5月には神戸に日本初のコワーキングスペース・カフーツが営業を開始していました。

なんでも一日限りの利用者も受け入れる、業種問わずのワーキングスペースであり、はるかアメリカではベンチャー企業と投資家も巻き込んでそれはすごい盛り上がりを見せているらしい。これらのスペースの利用者は設備はもちろん、スペースに集まるコミュニティに無二の価値を感じ、そこで大なり小なり助け合いながら毎日の仕事をともにしている、とのこと。

これはなんだか面白そうです。私が親交を持っているウェブに携わる人のような、電源とWi-Fiがあればとりあえず働ける人とも相性がいいように思われたし、コミュニティを育ててそれを仕事にする、という感覚も私たちにはとても魅力的に映りました。

ビルの社長である義父のところへ行き、妻とふたりでコワーキングスペースというものを始めてみたいことを相談してみましたところ「自営業者は自分の城を持ちたいものだし、会社員もそういうスペースは使わない。アメリカではどうか知らないけれど、この大阪でそんな店をはじめて誰が来るのか」とはじめは反対されました。今見ればちょっと古い考え方に見えるのかもしれませんが、2010年当時を思い返してみれば、まあ真っ当な感覚でしょう。ともかくも1年だけでも、一番小さな部屋を試験的に、という形で了承をもらいました。

開店準備

私たちはさっそく神戸カフーツの伊藤富雄さんにお話を伺い、まだ小さな子どもを連れて東京に飛び、PAX Coworkingの佐谷恭さんを訪ねました。ふたりともたっぷりとお話をしてくれました。そして、どちらのスペースもやっぱり当時はヒマそうでした(笑)。

開店の二ヶ月前にはTwitterを通じて「こんなスペースを作るので意見をください会」を開きました。知り合いのウェブ制作者やTwitterの知人数人が集まり、様々な意見を出してくださいました。今でもほとんど毎日JUSO Coworkingのことを助けてくれているメンバーの @kanetei さんが来てくれました。

それからしばらく後に、コワーキングの組立家具をみんなで作る会を開きました。ここにも数人の方が来てくれました。当時のTweetviteのアーカイブページを見てみると、今でもなにかのときに顔を出してくれる方が名前を連ねてますね。

Tweetvite :: JUSO CoWorkingスペース作りのお手伝い募

家具組み立て会の模様

オープンの一週間前にはお披露目会と簡単なパーティを開きました。ここでも集まったのは数人だけですが、そのときのことを今はコンクリートファイブジャパン株式会社の社長として活躍している @HissyNC さんがブログに綴ってくれています。こういう文章が残っているって今にしてみると本当にうれしいことですね。

大阪のコワーキング・スペース「JUSO Coworking」に行ってきました

2010年12月、JUSO Coworkingがオープン

そして2010年、12月1日。大阪初、日本で3つめのコワーキングスペースであるJUSO Coworkingが誕生します。ドロップイン(一日利用)だけではまず採算が取れないからと、小さな部屋にパーテーションで区切った小部屋を4つつくり、そこで月額会員さんを募りながら小さな机でコワーキングをやる、というスタイルでした。

開店初日のJUSO Coworking。お客さんがいないのでゆったり撮影できました(笑)

その12月にはほとんどお客さんはなかったのですが、神戸カフーツに出入りしている数人の方が訪れてくれました。@HissyNC さんや @kanetei さんはじめ、「コワーキング」というキーワードに興味を持ち、協力してくれる方も数人いらっしゃるようになりました。

ここから1年間、今のJUSO Coworkingにつながる礎を発見するまでに長い時間がかかるのですが、もう締切も近いので一旦ここでおしまいにします。続きはまた書くかもしれません。

日本最初のコワーキング・アドベントカレンダー

ここで尻切れトンボに終わるのもよくないので、ちょっと小話を付け加えておきます。

驚くべきことに、このコワーキング黎明期の2010年12月に、日本初のコワーキングをテーマにしたアドベントカレンダーイベントが開かれました。

 コワーキング・アドベント・カレンダー 2010

@HissyNC さんの呼びかけで、カフーツやPAX Coworking、そしてできたばかりのJUSO Coworkingに集まってくれた皆さんが、まさに日本で灯ったばかりのコワーキングの灯を育てようと様々な記事を書いているのがおわかりになると思います。

またこの中で、妻も12月25日の担当として、当時更新していたFC2ブログに記事を残しています。ちょうど営業開始から1ヶ月くらいのころの記事です。

集まる「ヒト」がいる。coworkingはそれが魅力なはず。
いつ行っても入れ替わり立ち代わり、新しいヒト、いつものヒトがいる。
ここに来れば「刺激になる」ということが実現できない限りは成功しない。

なので、、、、

coworkingという状態を実現するために、利用してくれる。というよりかは「協力してくれる方」を募集しようかと、年明けから動こうと考えています。

まだまだ認知されていないcoworking。
でも、今ある日本のcoworkingスペースが定着すれば、絶対に楽しく仕事ができるはず。
そう確信しているのでがんばって運営していこうと思います。

coworkingを運営してひと月。 – 犬と事務所の状況報告書(+育児)

この当時の、1年間の限られたテスト期間の中でコワーキングで採算を取るなんてことが程遠すぎて不安で押しつぶされそうだった妻の記事です。つい今さっき、この記事のネタ探しをしているときに再発見しました。

ああ、これだな。これが初心だよな。と。
集まるヒトがいて、いつ来ても新しいヒト、いつものヒトがいる。そんなスペースにしたい。

今は幸いなことに、JUSO Coworkingは水交ビルの中で4部屋にまで増床し、そしてなんとか家賃分くらいは出せるように成長してくれました。初心の願いに近い状態には、なんとかノロノロ、7〜8年かけてできました。

そしてコワーキングスペースは誰もが知る企業が運営したり、行政が働き方改革の一環として有効利用を模索するような存在になってくれました。

それは本当にたくさんの方がコワーキングに面白さを見つけ、業界を盛り上げ、面白くしてくれたからなのですが、その中で私たちのやったことはほんの少しだけど貢献になったのではと自負してますし、それはやはり嬉しいことです。

そんなとりとめもないお話で、この記事を終えたいと思います。


コワーキングスペース運営者限定アドベントカレンダー Advent Calendar 2018、次回はちょうどコワーキング運営をはじめて一ヶ月、大阪は枚方のコワーキングスペース「ひらば」の岡田さんにつなぎます!

追記

続きの記事を書きました。

JUSO Coworkingがそのコンセプトをつくり増床するまでの話 – Suikolog

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