(9月3日追記)本エントリ、もともとは「デザイン業界はもっと一般人の言葉に耳を傾けるべき」という問いに対しての解答というタイトルだったのですが、「デザイン業界はもっと一般人の言葉に耳を傾けるべき」という問いに対して考えたことに改題しました。本論の結論が「解答」どころか「回答」の域にも達していないと判断したためです。すみません、解答はできませんでしたが、共感できるよ、という非デザイナーの方のご意見もいただいてます。もちろん「解答になっとらん」という厳しめなご指摘もいただきました。その通りだと思います。ご意見くださった皆さまに感謝します。
このエントリを書いた経緯
佐野研二郎氏の手がけた東京オリンピックのエンブレムデザインの撤回が発表された9月1日、たまたま読んでいたこちらの記事に下記のようなコメントがついておりました。
コメントは「素人としての意見」と断った上で下記のような要旨のものでした(許可がないためそのままの転載は控えます)。
- 発表当初、身の回りではロゴデザインが「静的」「葬式」のイメージがありネガティブな反応が多かったように思う
- しかしデザイナーには肯定的な意見が多かったようだ
- 最終的にデザインを享受する一般の人の意見がなぜ取り入れられないのか
- 一部デザイナーだけが分かる、デザイナーの論理でできたロゴをなぜ私たちが押し付けられるのか
- デザイン業界はもっと一般人の感覚に耳を傾けるべきでは?
とてもよいご質問だなあ、と思ってぼんやりした考えを少しずつまとめてコメントしておりましたら、コメントというにはあまりに長い文章になったため、エントリにしようと思い立ちました。以下、質問者さんへの解答です。解答になっていたらいいのですが。
なお、ここでは問題のロゴに剽窃があるか否かは問題としておりませんので、そこはひとつよろしくお願いいたします。
デザイナーの仕事
さて、わたしたちデザイナーは通常、クライアントからお金をもらって、彼らの問題解決のためにデザインをします。そこには自己表現だとかいうものはあまり意識されるものではありません。いわゆるアーティストとはそこが違うところです。話は単純で、お金を出してくれた人のために、ヒアリングをして仮説と計画を立て、問題解決のためのモノや仕組みを作る、これがデザイナーの仕事です。絵かきというよりは医者に近いものと私は認識しています。
このロゴはどんな問いへの解答なのか
翻ってこのエンブレムのクライアントは誰でしょうか。一義的には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会ということになるでしょう。ではそのクライアントの「どんな問題」をあのロゴは解決するべく作られたのか、というのは大事な視点だと思います。
私たちデザイナーは出来上がったロゴを見て、答え合わせをするようにロゴに与えられた課題を類推したり探したりする。職業病のようなものです。そのひとつ、ロゴの募集要項には「(映像を含む)多くのメディアで多様な展開が可能であること」という趣旨の問いがありました。
だから多くのデザイナーがあのロゴが踊る映像や展開例を見て「かなり自由にバラせるけど、これからどう展開させていくんだろう。ありきたりな見せ方でもないし挑戦的だし、楽しみだな」という反応を示したわけです。
まさにあのロゴは生まれたばかりの赤ちゃんのようなものであり、顔はちょっといかめしいけど、これから5年かけた展開の中で徐々にらしさを出してくれるのだろう、その中で多くの人々がよさを徐々に分かって楽しんでくれるのでは、という期待含みがあったわけです(その例としてロゴのパーツでアルファベットを組んでみる、という試みがありました)。
一般の感覚・クライアントの要望に物を申すということと、その難しさ
さて。私たちは医者のようなものだと申し上げました。だからデザイナーにはときにクライアントの要望や「一般的な感覚」に背いてでも「それはあなたのためにならない」とプロとして異を唱え、自信をもって提案することが必要です(特に彼らクラスのデザイナーはずっとそうしてやってきたのだと思います)。
そういったわけで私は「もう少しあのロゴの成長やドラマを見られたら面白そうだったな」という気持ちは持っています。プロとして「これから面白くなっていくから楽しみにしていてほしい」と自信を持って提案してほしかったのです。
でもいわゆる「普通の感覚」でロゴにそういった、時間に従った展開やドラマを期待するか、というとそうではないですよね。あの動かないロゴを見た瞬間に評価はほとんど100%決まる。その第一印象が「スポーツの祭典の顔」とするには重く、いかつすぎたのでしょうね。その第一印象を拭えなかったのは作った佐野さんも選んだ審査員のデザイナーさん達も誤算であったことでしょう。
結果は御存知の通りです。まずロゴとは別のところ、社会的な問題の面から突っつき回され、最終的にはお粗末な経緯や不祥事まで発覚し、さまざまなクライアントはおろか私たちデザイナーさえも落胆させるようなお話も出てきて、最終的にロゴは撤回されました。多くの「パクリ」疑惑は言いがかりレベルだと思っていますが、画像剽窃の件について私はいささかも擁護することはできず、したがって社会的要請の問題・各クライアントへの背信の問題からロゴの取り下げもやむを得ないものと思っています。ただ苦い気持ちでいっぱいです。
壁は高いが
しかしそれでも。
ときに一般の感覚に挑戦するような、キャッチーとはいえないデザインが、時間をかけた長いプロジェクトの中で、長く空気にさらされ浸透することがある(例えば奈良のマスコットキャラクターであるせんとくんは発表当時、インターネットはもちろん一部仏教会からも批判の的になりました)。結果多くの人に新しいデザインの楽しみに気づいていただける、そんな仕事は素敵だなあとデザイナーの私は思います。
それこそある種の医者やコンサルが権威主義に陥るように、デザイナーも知らず知らずのうちにそういったこと振る舞いをしてしまうものかもしれません。「素人は黙っていろ」というようなコメントはその最たるものでしょう。
しかしやはり私たちはときに「クライアントの感覚・一般の感覚」に敢えて背を向け、未来を見据えた提案をしていくことも重要なのだと思っています。同時に、権威主義に陥らないためにも、私たちデザイナーはクライアントに、そして今回のような問いにできる限り心を砕いて言葉を重ねていくべきなのでしょう。
非デザイナーの感覚を無視するのではなく。最初はとっつきにくいけれども、長年かけて愛されるようにアプローチする、そんなデザイン上の挑戦があることも知っておいていただければありがたい。これが一応の私からの回答ということになります。
もしも「こういう考えもあるのか」と思っていただけるのであれば、ロゴやデザインというものを「目を楽しませるトンチの効いたもの」以外にも「潜在的な問題の解決のための機能・長い時間をかけて発展・展開・アップデートされうるもの」という目線を持って、日頃から様々なデザインを楽しんでもらえたら嬉しいです。
このブログ主の夫のほう。大阪を中心に活動するウェブデザイナー。水交デザインオフィス代表。JUSO Coworking運営。趣味でハウス・ディスコDJ / デレマスP。共著書『世界一わかりやすいWordPress 導入とサイト制作の教科書』発売中です。