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大晦日からまさかの入院。川崎病まとめ。

赤ちゃんの頃は本当に週末になったら熱をだし、月に最低でも5回は内科にかかっていた息子さん。3歳をむかえてからまた一回り体が強くなったようで、最近では内科にかからない月も出てきたそんな平成24年も終わりのころ。。。

大晦日に川崎病になりました(ドーン)

川崎病とは、川崎さんが見つけた体中の血管が炎症を起こしてしまう病気らしく、現代では年間1万人以上(だんだん増えてるらしいですが)発症するらしいもので、病気としてはそう珍しくはないそうです。(確かにfacebookやtwitterをみてても「私がそうでした」「うちの子も」っていう人が多すぎてびっくりしましたw)

症状は
(1)39度前後の熱が5日以上続く
(2)手足が固くむくんで赤くなる
(3)体中に大きさがバラバラの発疹ができる
(4)量目の充血
(5)いちご舌(くちびるや舌の充血・炎症)
(6)首のリンパ節が腫れる

このうち5〜6満たせば川崎病という診断になります。

原因はウイルスや細菌が疑われつつもいまだ不明。

現在はいいお薬や治療法もわかってきていて、後遺症が残ったり突然死も少なくなってきているようですが、いや。。。

びっくりしました。

ことのはじめは12月27日(木)
朝、登園したときに37度と微熱気味。
でも本人はいつも通りだし、年末で仕事も追い込み。
あと夜に久しぶりに級友で集まる約束をしていたのもあって「まぁこれくらいなら大丈夫だろう」と送り届けました。

そして夜、旦那さんのfacebookの投稿から「38度」と熱が上がったことを知ります。
正直、この時点では「あ。風邪やなー」としか思わず、次の日の登園は念のため休んでゆっくりすごしたらいいかーってな気持ちでした。

そして28日(金)
保育園の今年度最後の登園日でしたが、熱は38度あるかないか。
機嫌はそこまで悪くないものの、保育園はお休み決定。
いつものかかりつけのお医者さんがすでに休みだったので、初めてのクリニックではじめてのお薬を処方されつつ、多少機嫌に並はあるものの、作っていったお弁当も食べてくれたしそれなりに遊ぶしでこの日もそんなに気にせず過ごしていました。

翌29日(土)
夫婦そろって仕事も納めて家の大掃除!
相変わらず熱は38度。
いい加減おかしいぞ?と思いつつ、食欲は並があり、ぐったり。。というほどではない。
この時点で救急に行くかは頭をめぐるも、以前診療所に行ったときにおじいちゃん先生のよぼよぼさに驚愕した覚えと前日お医者さんにかかっていて「まぁ4日くらいは熱続く子もいるしね」という言葉から、座薬使うまでもないか。。。と様子見で過ごしました。

ただ夕方、急に足をかきむしりだして大掃除中だしダニ?

初めてのお薬があわなかった?といろいろ頭をめぐらしました。そういうてる間に体中に発疹が。

このときはラグを掃除してたのもあったので私の中ではホコリにアレルギー反応したのかも?というイメージが強く、とりあえずお風呂いれて着替えさせ、持っていた市販のかゆみ止めを使用。

すると、体の発疹はすぐに治まり、足だけがなんだか少しかゆそう?という感じになりました。

翌30日(日)
熱は落ち着くどころか少しずつ上昇していき、午前中に38.5度になったところで座薬投入。
いったん熱は下がって食欲も戻り、機嫌も良好になったものの、夕方にはまた39度にあがってきて8時間あけた頃にまた座薬投入。

うーん、おかしい。
座薬でぐっすり寝てご飯食べれれば体力つくかとおもいきや、座薬が切れたと同時にきっちり熱が上がるかんじ。
おまけに足だけでなく手もなんだか赤い(間違って上でまとめちゃいましたが上記の写真ですね)目もなんだか赤い。

でもこのときにそれが”サイン”ということは思い浮かびませんでした。あとで激しく後悔するのがこの部分なんですが、手は手首が少し荒れたかんじ。例えば草原で遊ばせて草にかぶれた感じによく似ていて、目の充血は「しんどいからかなぁ」という印象だったのです。
そこでとりあえず新たに薬局で実際に発疹の写真をみてもらって塗り薬と目薬を購入。様子をみることにしました。

翌31日(月)
熱は38.5度
あかん。もうあかん。
春にインフルエンザで39度から40度が丸3日続き肺炎で入院した光景があたまを巡りました。

とりあえず救急をしらべて、お薬手帳と初めてもらって内服していた薬、購入した塗り薬など看病にかかった薬剤を全部かばんにつめて、この数日間の発熱からこの日までの流れをノートにまとめて休日診療所へ。

そして3時半頃、診察してもらうと

川崎病の疑いがあるのですぐ病院紹介しますね

のひとこと。

診断理由としては

・熱が5日目
・目の充血
・手足の赤み
・発疹の写真(もう引いてたので写真に残していたものを見せた)
・くちびるの腫れ
・リンパ節の腫れ

そう、上記の項目すべて満たしているのでした。
この時点で頭を殴られたような衝撃。
”後悔”ばかりがめぐりました。

思い返せば発熱しだした最初の2日間。
熱は37度から上がっても38.3度くらいが続いていた日で
私の中の”高熱が続いてあぶない”と思うには微妙にカウントに入れれておらず、高熱が続いて3日目くらいしかたってないかとおもったらとんでもない。よく考えたら5日目。

熱が5日目?どうしてもっと早くこなかったのか!!
掃除なんてしてる場合じゃなかった!!どうして。どうして。

川崎病の疑いといわれた時点ですぐにウィキペディアを見ました。
後遺症について、心臓の血管・コブ・突然死の可能性。
たくさん詳しいことが書かれてて、でも難しさとパニックで頭にうまく入らない。
もう自分で考えてたらあかんとおもってとりあえず紹介状を書いてもらって総合病院の先生にみてもらうまではわからない。。と調べる手を止めました。

平静を装っているつもりでした。

でも後遺症の言葉が頭から離れず、いよいよ6時頃救急の先生に見てもらい

「結論からいいます。即入院です」

の言葉をもらった瞬間、不安で押しつぶされて目から涙がとまりませんでした。

熱がではじめた頃、今のうちにゆっくりさせておけばすぐ治る☆
それで大晦日は一緒につくった鏡餅を眺めて、紅白みて、元旦には親戚と遊んだり2日からはおじいちゃんおばあちゃんの家に泊まりにいこうね。
4日は家族水入らずですごそう。
5日からは梅田にでて食事したあとどこいこうか。

そんなたくさんの楽しい予定をたててたのに。

なんですぐ治るとおもってたんだろう。
「あと1日様子をみよう」を何度思ってしまったんだろう。

そんな不安と後悔の中、肺炎で入院したときはうまく針が入らず右手につけられてしまい、身動きができず、個室でものすごく本人も私も疲弊しきった日々が思い出され、
とにもかくにも、少しでもこの子が前向きでいられるように!

「どうか点滴は左手に!!」

必死で訴えました(必死すぎてびっくりされてたかもw)

看護師さんが着々と針をつけてくれて、心電図をとり、病室へ案内され、先生からもう少し詳しい病気の説明や治療の説明。

輸血から作られた血液製剤を使用することで事例はないもののHIV感染やB型肝炎の危険性の関係で同意書が必要ということ。
人のもんを体にいれるからアレルギー反応の可能性や、まれに効かない子もいるということ。
やっと落ち着いた21時頃、テレビカードを買ってきてテレビをつけると紅白が始まっていて、まさに年末ムード

そこでやっと、心が落ち着ちついてきました。

部屋は大部屋。
4つのベッドはうちを含めて満室。

声をきいているとうちより大きい子もいればうちより小さい子も。

そうだ。みんな年末年始関係ない。
病気とがんばって戦っている。

とにもかくにも、今は治療に専念して早く治さなくちゃ。

2回目ということで入院の準備は意外とスムーズ。
荷物をもって旦那さんがかけつけてくれて、一緒に病院でゆく年来る年をみて(音声なし)お正月を迎えました。

去年は3日から水疱瘡。

それを超える伝説が誕生しました。

なんてタイミング。
最初はそう思ってましたが、でもよくよく考えると自営業共働き野我が家。まとめて休みをとっているからこそ落ち着いて仕事初めの準備を相談できるし、看病の負担も分け合って軽減できます。

実際、肺炎のときの入院では土日を挟んだものの、泊まりはすべて母である私だけでしたが、今回は1日交代で泊まりました。

お父さんが泊まり。

これはちょっと病院でも珍しそうでしたw

もちろん子供が一人しかいないからできることでもありますが、ほんと自営業だからこそ、そして何より仕事もたくさんの人が助けてくれるから・協力してくれるからこそできることだなと思いました。

現在はまだ入院中(きっともうすぐ退院フラグ・写真は大好きなからあげの差し入れをmogmog)

一時は高熱がまたぶり返してきて、川崎病の症状がまた出てきたのか?それとも風邪など感染症にかかってしまったのか?と不安でしたが、どうも少し風邪をひいてしまっただけのようで一安心しました。

病院だしね。大丈夫だいじょうぶ(と言い聞かせてましたw)

最後に

”付き添いなんて本当に大変ねぇ”とたくさんの人にもいわれますが。いや実際大変ですwでも、今は自分の体力うんぬんよりもしっかり寄り添って少しでも一緒に過ごしたい。注射の痛さを我慢して泣いているときにすぐに抱きしめてあげたい。

それができるのも、たくさんの人のおかげです。

この場をかりて
ご飯や荷物、サポートたくさんありがとう両親
おいしい果物やお菓子、重いものたくさんもってこちらが行かなければ行けなかったのに来てくれてありがとう両親
便利グッズや絵本の支給、店番と盛りだくさんありがとうしかたさん
いつもうち家族がピンチのときにメッセージで「手伝うで!」と飛んできてくれる上田さんありがとう
たくさんアンパンマンの絵本ありがとう、大好きなゴーフルや親むけユンケルありがとう親戚たち
私の野菜不足を聞きつけおいしいスムージーとスープありがとうアルジュースさん
大好きないちご山盛りありがとう管理人さん

これからも感謝の気持ちを忘れずに、とにもかくにも完全復活めざしてがんばります☆


(ミニサイズではなく普通サイズのゴーフルを目の前ににやつく様子)

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